少し長くなりますが、尾曳稲荷神社の鳥居前に立っている説明書きの一部を抜粋して記します。
 
 「第百五代後奈良天皇の御代第十二代足利義晴将軍の時、天文元年(昭和五十一年から四百四十五年前)城主赤井照光の創祀にかかる。

 大袋城主の赤井山城主照光は享禄元年正月舞木城主のもとへ年賀の途中、子どもが狐児を捕らえ殺そうとしているのを救ってやったところ、その夜更け一老翁が顕れて、子どもの助かった礼をのべ、照光の居城大袋よりも館林が要害堅固の土地である説き、明晩御案内申し上げようといい終わって姿を消した。
 翌晩果たして老狐が顕れ尾を曳いて先導し字侍辺に始まり字加法師に来て夜が明け別れに臨み、もし築城完成の暁は、永く当城の守護神に仕えよう。私は稲荷の神使え新左衛門であると言い終わり形を没した。
照光はこれに依って築城しその名も尾曳城と
号し城中に  略。」

尾曳稲荷神社

より車で10分

尾曳稲荷神社創建と由来

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境内の桜は見事

形を正す

(しんそうたてばやしきど)